矢口真里と劇団ひとりの番組を流していました。
丁度お腹がすいて、軽くご飯を食べようとしたから。
・・っていうのもありますが、僕は基本家にいるときはずっとテレビはつけてます。特に見てはいないんですが、なんかテレビがついていないと悲しいんですよね。
変ですかね??
その番組をみてたら、少し悲しくなってきたんですね。
そういえば昔、僕が高校1年の頃、モーニング娘がけっこうな流行でした。
まぁありますよね。「誰が好き?」って会話。
僕は興味がなかったんすが、ある真面目だと思っていた先輩が「真里ッペがかわいいよね」と不気味な笑みで語っていました。
今思えばですよ!!!
その先輩をなぜか好きになれなかったのは、そのせいだろうと思いました。
或る意味トラウマです。
そうそう、18の時。
オセロの松島のことを最高に綺麗だといっていた人がいまいした。僕はまさか~って思っていたんですが、今ではすごく納得。
うんうん。歳の功ですな。
話がそれましたが、そう、センチなんです。
矢口&ひとりの番組では、携帯で撮影したショートフィルムを集めて、それを審査するって内容でした。
画像も荒いし、素人のシナリオです。
でもね、そのには確かな世界があって、それになんか打ちのめされたんです。
人は常にオーディエンスで、時にクリエイターな生き物だと思います。
プロとして仕事を完遂している時は、クリエイター。
反対に買い物している時とかライブを見ている時なんかは、オーディエンスですよね。
当たり前ですよね・・・・
大義でいうならば、人は時にクリエイター・・・か。
でも狭義でのそれは、多くの人にはできないことを実現する人のことをいいますよね。
芸術などの分野では、それは特に顕著。
つまりは僕はギターを弾いても、それはクリエイターじゃないんです。人に出来ることしかしてないですから。
それに気付いたというか、その事実が"がん〟と音を立ててやってきたというか。
それは凄く悲しい、でも現実です。
ライブを見ても、楽しいイベントに行っても、どこかで悲しくなる自分がいます。
それはきっと、それなんでしょう。
クリエイトしていない自分が、虚しいのですね。
僕がギターを手にしたのも、もっと前では歌を歌い始めたのも、もっと前ではノートに絵を書いていたのも、みんな何かを想像するってことが好きで、それが生きる事だとぼんやり思っていたから。かな。
現実って奴は、嫌い。
逃げたってどこまでも着いてくのに、やっぱり見たくないとか知りたくないとか・・・・・
僕が東京に出てきて4年、新しい環境で出来た知り合い・友人は、みんな尊敬しています。
ほんとはそんなことで人間を選んじゃいけないんだろうけど、話したい動機・仲良くなりたい動機が僕にはそれで。
みんなクリエイターなんです。とても素敵な。
昼過ぎからだらだらギターを練習していて、そして何度も浮かんでは消えていったような気持ち。
本当にやりたい音楽ってコレかな?って。
やっぽり思うんですね。引っかかるんですね。
クリエイトしていない自分の人生って奴に、疑問と反感を。
昨日アルバイトしながら、ぼんやり浮かんだ曲の感じ。
さっきそのメモを見ながら少し弾いてみたけど、なんだかすぐやる気がなくなっちゃって。
なんか、ほんとダメだなー。
はぁ。。。。
さて、とりあえずギター弾きます。
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